阿良々木暦という現代のモテ男?

そんな記号のようなものに沿って生きてきた(生きさせられてきた)ような気がしてます。ここ3年くらいかな。

それでも楽しかったけど現実としてモテるような雰囲気が生じる予兆はあったような気がしたが、そんなものに漬かってしまったらそれこそ人生が終わりなので、関わりを避けてきた次第である。

そういうのは仮想的に行われるからいいものであって現実でエロゲー展開が生じるのはほぼ地獄に繋がっている事が多いと思っている。ある種脅迫的にまで。

 

※ここまで妄想

ニートにもやることはある

メンヘラですけど。ニートにもやることがある。

色々危ない発言をしてしまった。

今がうまくいかない場合、なんか詰まってるなと思う場合

色んな所を周回してます。

怪我して破産して

すべてを失ったような気分。

オーディオ破産です。HD800とかP-1uとかが家に一時的に置いてあった。

ただそれだけだった。所有できてはいなかった。許されなかった。メンヘラだ。

残ったのは寂しさとわずかに鍛えられた耳。

 

今でもHD800の音が1000円のイヤホンに乗っているような気がするんです。

失った辛さでアイマスClariSを噛みしめるように聴くことができてる。

 

なぜ今HD800が家にないのか。

それは、設定が決まらないのでHD800も無理だと思って手放しました。やっぱり身の丈ってあるんだなって。

 

1000円のイヤホンで十分ということなのかも。耳が鍛えられれば高いヘッドホンが要らなくなるってのもあると思う。それでも使い続けるかはまた別次元の話だと思う。

 

メンタルを病んでから壊れた脳も解像度がその道中で上がったしとても良かった。アニメ系イベントもおそらく15回くらい行った。

 

ばっちり定位感と重心と空間表現。そういうのが決まらないとダメです。いくらいい機器を使ったとしても。そう今でも思ってます。

知らないということは果たして不幸なことなのか

なんだか冒頭から某テクノ系アーティストの様なタイトルを書いてしまった。

結論から言いたいことは知らないことは不幸なのかという素朴な疑問。

知らないというだけで馬鹿にされ続けてきたこれまでの時代。

ヤッタヤラナイの童貞処女が馬鹿にされ続けた時代。

 

今となってはどっちでもいい問題。だと思いました。

 

なんでこんなことを書いたかというと、アニメを見るためのTVなどの機材を全部売り払ってしまい、流行についていきたいができない状況が苦しく何とか吐き出したかった。そういうわけです。

 

最近は主に清涼飲料水がストレスのはけ口ですが。

 

たとえば知らないアニメのgifアニメをツイッターで発見する。(RTなどで)

 

それだけで楽しい。なんだかかわいい女の子が動いている。それだけでうれしい。

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最近はヘッドホンは3千円のもの(初期に使っていたもの)を使っていますが。耳が大分いいヘッドホンの使用により育ったのか、楽器の練習で鍛えられたのかはわかりませんが、これでいいことになってる。本当は最低でも5万クラスじゃないとなんて言いたいところですが。(ブログとは関係ないですが資金的にも破産してしまい自己破産へ向けて手続きを取るよていなのです。)

 

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回るピングドラムは最高でしたね。今思い出しても怖かったけど良かった。テーマソングCDなんて最高でしたね。今は音源しかないですが名盤らしいです。

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記号という生き方

記号として生きるのはすごい悲しい。なぜなら記号は記号だから。アイコンはアイコンだから。それが自分自身になってってしまったら悲しい。とても悲しい。

 

わかりやすい社会的ポジションの確認としての記号の所持。そんなものはいらない。捨ててしまおう。

 

なぜならそんなものは自分自身の証明にはならないからだ。

 

自分自身の証明それは内側から輝く本物のダイヤモンド。何物にも代えがたい宝物の証明。それが存在証明。

 

抱く心の不安はすべて焼き尽くして食べてしまおう。それが助けになる。

 

追伸:パワーストーンが3つ目になりました。水晶。ブルータイガーアイ。アクアマリン。アクアマリンは誕生石である。ところでパワーストーン間のバランスを取るときに買い足していったら無限に買わなきゃいけないとかないですか?

それって辛くないですか。やっぱり気休めもしくは気分の持ち様くらいにとどめておいた方がいいのかも。

パワーストーンも一種の記号で、それが自分の自信ややる気につながるのならいいのじゃないかな。いいのじゃないかな。終わり、

twitterの悲しさ

なぜ他の人が書いたことに対する反応が自分への反応として認識されなければならないのでしょうか。

そんなに悲しいことはないです。

 

記憶に残るアレをおすすめしますだよ。ほんとに…。